千代田区合気会の歴史




千代田区合気会は、昭和47年に合気会本部の五月女貢師範が、各大学合気道部のOB等 に対して呼びかけを行い、有段者の稽古会として結成されました。当時千代田区にあった 東京都庁合気道部や、東京消防庁合気道部の会員などの参加により、神田にある 千代田区総合体育館で週1回の稽古が行われたそうです。

昭和50年に、五月女師範はアメリカへ合気道の普及および指導に行かれましたため、 この年より合気会本部の山口清吾師範をお招きし、ご指導いただくようになりました。 またこの頃から、広く一般の初心者の方の入会もちらほらあり、大勢の猛者たちに もまれながら稽古を積み重ねてきました。(当然脱落者もいたようですが…。)

山口師範には、20年以上に渡ってご指導いただき、会員一同大いに薫陶 を受けました。会員たちの目標は、山口先生の技を継承し、あのように魅力的 な合気道を出来るようになることといっても過言ではありません。 残念ながら山口師範は、平成8年1月に71歳で亡くなられてしまいました。

その後当会は、平成10年より合気会本部の重鎮である増田誠寿郎師範にご指導を お願いするようになり現在に至っています。

千代田区合気会はこのような成立過程により、合気道歴の長いベテラン指導者 が大勢在籍しています。これらの指導者の、個性溢れる多彩な技を稽古を出来ること も大きな特色です。決して独り善がりにならず、広い視野を持って、自由に技の研究 をすすめていくことが千代田区合気会の目的です。

稽古は、ずっと千代田区総合体育館を利用していますが、2回ほど使用できない時期があり、 稽古場所を求めて流浪をするはめとなりました。昭和61年には、伊豆大島の噴火により、 千代田区総合体育館は避難所として利用されたため、使用できませんでした。この時は、まだ千代田区内にあった 都庁などの施設を利用させてもらいながら、稽古を続けました。

平成10年には、千代田区総合体育館が耐震工事のために1年ほど使用できなくなり、 ました。この時は、幸い神田の公民施設であるさくら館の体育館やロビーを使うことで、 何とか稽古を続けることが出来ました。今となっては体育館にマットをつぎはぎで並べて 隙間に足をとられながら稽古したことや、ロビーのタイルの痛さもいい思いでです。

ここ数年は、入会者が急増し初級者も大幅に増えました。昔のような研究稽古 ばかりとはいきませんが、初級者にとっても魅力を感じられる、力任せでない合気道 を求めるスタイルは変わってません。初級者には無理のない範囲で、ベテラン同士では 時には荒稽古も含めて稽古を行っています。

そして稽古後の飲み会も決して手を抜きません。必ずといっていいほど、 飲み会に行きます。中には稽古をパスして飲み会から参加する人もいます。 合同稽古後の直会などでは、常に酒でも千代田区合気会を印象づけることも 目標の一つとして(?)稽古にもはげんでおります。




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